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今からでも遅くない!【大器晩成の偉人 10人】のエピソードから勇気を貰う!

投稿日:2018年10月23日 更新日:

 

KUMAJoe
こんにちは KUMAJoe(@KUMAJoeBlog)です。

KUMAJoeも、来年には40代に突入するわけですが、人生まだまだこれからだと思っています。

なんたって、人生100年時代ですからね、、、

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そんなわけで、この記事では年齢によって、自分の夢や成し遂げたいことを諦めかけているあなたに、40歳あるいはそれ以上の年齢になってから成功を手にした10人の偉人のエピソードをご紹介していきます。

 

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大器晩成の偉人 10人

自分はまだまだこれから、今からでももっと輝けるはずだ。そうは思うものの、年齢を考えて「なんでもやれる!」という自信が萎んでしまう瞬間は誰にでもあるものです。

そんな時、40歳、あるいはそれ以上の年齢になってから新しいことを始めて成功した偉人たちのエピソードに、必ず参考になるものがあるはずです。それでは、大器晩成型の偉人10人のエピソードに、ぜひ勇気を貰ってください。

 

【レイ・クロック】マクドナルドチェーンを築いた帝王

当時52歳のレイ・クロックが行っていたマルチミキサーの販売事業は決して順風満帆ではありませんでした。

ある日、彼はミキサーを納入したハンバーガーショップの中で、かなり繁盛している店があるという話を聞きます。はるばる車を走らせていった彼は、そこでかつて見たことがない光景を目にします。

カウンター前に並んだ客を効率よく捌いていくシステム、嬉しそうにハンバーガーを食べる客たち。彼はマルチミキサーのことも忘れて、店を運営しているマクドナルド兄弟に頼み込みます。

「チェーン展開をしましょう!」
その後、彼はマクドナルド兄弟からマクドナルドの運営権を購入して世界的ハンバーガーチェーン、マクドナルドを築き、63歳の時に株式上場を果たします。

クロックのエピソードは『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』という映画になっています。関心がありましたらぜひご覧ください。

 

【シュリーマン】40歳を過ぎて勉強を始め、トロイア遺跡を発見

幼い頃にホメロスの『イーリアス』を読んで感動したことで夢を抱き、中年を過ぎてからもその夢を忘れられず、考古学の勉強を始めてトロイの町の発掘に成功した…そんな逸話を聞いたことがある方も多いと思います。

残念ながら、20世紀末の研究によって、彼が自伝に描いた「幼い日のトロイの町への憧れ」はつくり話であった可能性が高いとされています。しかし、ここでは彼の動機はひとまず脇に置きましょう。

彼は44歳にして考古学の勉強を始め、そして実際にトロイの遺跡を発見するという、歴史学のページを塗り替えることをやってのけたのだということを、ここではあらためて強調したいと思います。

 

【スキャットマン・ジョン】ハンディキャップを強みに変えた

"YouTube"より

45歳のジャズピアニスト、ジョン・ラーキンは若い頃から吃音に悩んでいました。

アルコールとドラッグにすがるような毎日を送っていたジョンは、友人の死をきっかけに酒と薬との決別を果たしますが、しかし、そもそもの原因であった吃音と向き合わなければ、本当の意味で問題を克服できたとはいえませんでした。

そんな時、ピアノに合わせて意味のない音をアドリブで歌うスキャットという手法が、彼の吃音との相性が良く、また客の受けがいいことに気がつきました。
「すべてのことには意味がある」
コンプレックスを武器に変えることに成功した彼は、52歳にしてCDデビューを果たしました。

 

【エイブラハム・リンカーン】4時間斧を研ぐ

アメリカ合衆国史上、最も偉大な大統領は誰か? 候補には何人かの名前が挙がってくるでしょうが、多くの場合、そこにエイブラハム・リンカーンの名前があるでしょう。

彼の人生は苦難の連続でした。家族の不幸があり、事業に失敗し、選挙に落選し、軍隊で失敗しました。しかし、彼は挫折の度にそれを糧として立ち上がりました。

彼の言葉として「人民の、人民による、人民のための政治」というものが有名ですが、もう一つ、「もし、木を切り倒すのに6時間与えられたら、私は最初の4時間を斧を研ぐのに費やすだろう」というものがあります。

この言葉は、大きな成功を実現させるためには長い時間をかけた準備と努力が必要であることを示しています。

 

【ファーブル】55歳から始まる自分の人生

ファーブルは安定した収入を得るために小学校から高校までの学校の教師をしていました。その職業人生も決して安泰なものではなく、授業で植物の受精の話をしたことがきっかけで、熱心なカトリック教徒からバッシングを受けて職を失うこともありました。

誰もが名前を聞いたことのあるファーブルの『昆虫記』。その1巻が出版されたのは、ファーブルが55歳の時、10巻を書き上げたのは83歳の時でした。

彼が昆虫の研究に集中できたのは、染料の特許を取得したり農芸化学などの書籍を発行して財産を築き、南仏に1ヘクタールほどの土地を取得できたからでした。ようやくお金と時間の制約から解き放たれて、彼は好きな昆虫の研究に打ち込むことができるようになったのです。



 

【カーネル・サンダース】度重なる挫折から這い上がって成功

"KFCコーポレーション"より

経営していたガソリンスタンドが世界恐慌の煽りを受けて倒産、再起したレストランは火事で消失、再び立ち上げたカフェは大規模道路が建設されたことで面していた道路の交通量が激減、と彼の人生には何度も危機が訪れます。

カフェを売却した時には、彼はもう65歳になっていました。手元に残った額はほんのわずか。来店客数の減ってしまったカフェは安値でしか売れなかったためです。

一時は年金生活を考えた彼でしたが、思い直してレストラン時代に開発したフライドチキンを武器にすることを考えました。ただし、チキンを客に販売するのではなく、レストランにレシピを売るというやり方です。

フランチャイズチェーン、ケンタッキー・フライド・チキンの誕生です。

 

【徳川家康】鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす

幼年期を今川氏の人質として過ごした家康は、元服した後、今川氏を討った織田信長と同盟関係になります。

しかし、その信長が本能寺の変で討たれてしまいます。謀反人の明智光秀を討伐した羽柴秀吉は勢力を拡大しましたが、秀吉は元々信長の家臣であり、信長の同盟相手であった家康よりも格下であったはずでした。

しかし、現実のパワーバランスにより、家康は秀吉の家臣に収まり、天下統一を果たした豊臣秀吉の元で5大老に任じられます。

その後、秀吉が病没すると、関ヶ原の戦いを経て征夷大将軍に就き、大坂冬の陣、大坂夏の陣を経て豊臣家を滅ぼし、とうとう家康は天下人になります。この年、家康は74歳。その翌年、家康は亡くなりました。

 

【浅田次郎】投稿生活を続けてデビューまで27年

 

小説家を目指して13歳の頃から投稿をしていた浅田次郎は、三島由紀夫に憧れを抱いて自衛隊に入隊しました。

自衛隊での生活を気に入っており、それなりの昇進が望めそうではあったものの、彼は小説家になるという当初の希望をかなえるために自衛隊を除隊します。

その後、ライターの仕事をしながら小説の執筆と投稿を続けますが、なかなか花開くことはありません。ようやくデビューを果たせたのは40歳の時に出版した「とられてたまるか!」で、初投稿から実に27年が経っていました。

その後、1997年、『鉄道員』で第117回直木賞を受賞しています。

 

【伊能忠敬】56歳から始まる徒歩測量の旅

"授業づくりJAPAN YOKOHAMAプライマリー"より

幕府の出入り商人であった伊能家に婿入りした忠敬は小さい頃から天体に関心を持っていました。18歳で伊能家に婿入りした彼は、元々の素行が悪かったために伊能家や周辺の風当たりは良くなく、忠敬は結婚を機に生活態度を改めて伊能家のために尽くします。

やがて、忠敬の尽力もあって伊能家は大きな資産を蓄え、また村の発展に尽くした努力が認められて、忠敬は商人でありながら名字帯刀が許されるまでになっていました。

そして忠敬50歳、かねてからの希望だった隠居が許された彼は、天文学を学ぶために19歳年下の学者に弟子入りしました。

その後、忠敬には日本地図を作成する使命が下され、彼は17年をかけて徒歩での日本一周と実測での日本地図作成を行います。

 

【御手洗毅】世界的カメラメーカーを興した医者

医師、御手洗毅は41歳でカメラメーカーである精機光学工業の社長に就任しました。

彼にはカメラのことも経営のことも分かりませんでしたが、医療用途のカメラを製造するといった医師ならではの視点で会社のピンチを救ったことがありました。こうしたこともあって、社員たちから社長就任の強い要請を受け、迷った末に御手洗は社長の座を引き受けます。

戦争直後の混乱期、進駐軍の間で精機光学工業のカメラは高く評価され、御手洗は自社のカメラを海外でも販売しようと決めます。敗戦国日本のカメラはブランド力で劣っていたために当初は苦戦をしていましたが、高い技術力に支えられた品質では優れており、やがてカメラは高い評価を得るようになっていきます。

御手洗自身にはカメラの知識も経営の経験もありませんでしたが、他業種での経験が活きたことと、技術者たちを信じて任せたことが成功につながりました。

なお、この会社は現在ではキヤノンの名で世界的に有名になっております。

 

まとめ

40歳以降に大きな成功を遂げた大器晩成の偉人10人を選んでご紹介しました。

いずれも、優れた着眼点や長い下積みや努力があってこそ成功をつかみ取ったのであり、ただ運が良かっただけという人は一人もいません。

いつになっても、まだ間に合います。しかし、努力を始めるのに最適なのは今です。

 

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